1 エルサレムへの途上、ある人が「主よ。救われる者は少ないのですか?」と問いました。
主は彼の興味本位の質問に直接答えることはせず、「努力して狭い門から入りなさい」と
教えます。「狭い門」とは「狭いドア」のことで神の国の祝宴につながっているのです。
2 なぜ、神の国の祝宴へつながるドアが狭いと言われているのでしょうか。①救いはただイ
エス・キリストにしかないから→「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」
の和歌のように、道は違っても到達点は同じと考えていませんか。主イエスこそが、父な
る神に至る唯一の道です。②悔い改めを求めるから→みことばを聞いたりするものの結局
は悔い改めなかった人々や、預言者を否んで悔い改めを拒んだ人々は主から拒絶されまし
た。狭い門は、悔い改めなしに入ることができないのです。③主に従う生活には困難や戦
いもあるから→イエスは、十字架の苦難が待つエルサレムへ進み行きました。この主に付
き従う者の歩みもまた、必ずしも楽な道ではないのです。
3 主は、神の国の祝宴へつながる狭い門へ努力して(闘って、一所懸命になって)入るよう
にと勧めています。罪により閉ざされていた門を十字架によって開いたのは、主イエスで
す。このお方だけを信じ、何度でも自分の罪を悔い改め、いつでも神に立ち帰って懸命に
信仰に歩んでいきませんか。神の国の祝宴にたとえられるほど、魂を深く満たす永遠の救
いへの導きを求め続けましょう。