1 8章では、偶像に供えた肉の問題が扱われます。当時、異教の神殿で生贄とされた動物の
肉がその後市場に流通し、食卓に上っていました。果たしてクリスチャンはそれを食べて
よいのか。コリント教会の一部の人々は、偶像の神など存在しないのだから、食べてよい
と考えました。それ自体は問題ありませんが、パウロは彼らがその知識で高ぶり、食べな
い人々を見下げることを問題としたのです。
2 そこでパウロは知識ではなく、愛によって判断し、行動することを勧めます。コリント教
会には、偶像に供えた肉を食べるべきではないと考える人々もいて、この問題を巡って分
裂分派が生じていたからです。信仰の本質に関わる問題ではなく、実践的な問題において
は、同じクリスチャンでも異なる立場や意見になることはあります。それぞれ違いのある
一人一人が、等しく主の十字架によって愛され、赦され、救われた者であることを心に留
め、互いの違いを尊重しながら、受け入れ合い、愛し合う生き方を選びましょう。
3 パウロ自身は偶像に供えた肉を食べることは問題としませんが、それが弱い兄姉につまづ
きを与える可能性を思い、今後一切肉を食べないと語りました。人の徳を高め、教会を建
て上げるに必要なのは知識ではなく、愛だからです。弱さを露わにし、信仰がぐらついて
いる愛兄姉のために、あなたは何をしますか。上から目線で見下したり、裁いたりするの
ではなく、愛の配慮をもって関わりませんか。