1 兄弟(仲間)を何度まで赦すべきか、七度までかと主イエスに問うペテロに返ってきたの
は「七度を七十倍するまで」という答えでした。その真意は文字どおり490回までという
ことではなく、数えるのをやめて自由になるようにということです。
2 続いて主が語られたたとえ話で、1万タラントの莫大な借金を赦免されたにも関わらず、
100デナリを貸す仲間を赦さなかったしもべは、王の怒りに触れ、投獄されてしまいまし
た。聖書で罪という語は、負債とも訳されます。造り主を忘れ、自分中心に生きることは
神の前に返済不可能な負債を積み上げていくに等しいのです。返せないままでは、永遠の
牢獄(地獄)につながれる他ありません。しかしあわれみ豊かな神は、返済不可能な負債
を主の十字架の贖いによって、全て赦免してくださったのです。自分自身が赦す立場では
なく、赦される立場にある者と知っていますか。神の計り知れないあわれみにより赦され
た罪人であることを、日々感謝しましょう。
3 主の十字架が自分を赦すためと知った人は、新しい生き方を始めることができます。他者
を赦さないことは、あなた自身をも不自由にすると知っていますか。神の恵みによって赦
された者として本当に祝福に溢れた人生を送るために、自らが赦す生き方を選び取りまし
ょう。受難週が始まります。あなたを赦すためにひとり子イエスを十字架に付けるほどの
犠牲を払った神の愛に動かされて、赦しの種を蒔き続けましょう。