1 聖書には多くの失敗者が登場しますが、アブラムもその一人です。飢饉回避のためネゲブ
からエジプトへ下りましたが、これは彼自身の判断による行動でした。いつの間にか、礼
拝と祈りの生活を失っていたのです。導きを求めない信仰生活に陥ることが失敗の源泉に
なります。何をさておいても、祈りの一呼吸を大事にしましょう。
2 エジプトに下ったアブラムは、妻サライを妹と偽ります。なぜ彼は半分真実のグレーな嘘
をついたのでしょう。①所有欲のゆえ⇒衆目の認める美貌の妻は富に匹敵する宝であり、
失いたくなかったのです。②恐れのゆえ⇒サライを奪う者に自分の命を奪われることを恐
れ、自己保身の偽りを語ったのです。神を第一とし、神を恐れて生きることが、所有欲と
恐れからあなたを解放します。
3 サライは王宮に召し入れられ、アブラムは見返りとして多くの富を得ました。しかし、そ
れは最愛の妻を失ったばかりか、彼に子孫の繁栄と祝福を約束した、神の計画をご破算に
しかねない過ちでした。「しかし、主は」致命的な彼の失敗にそれを恵みで包む形で介入
され、アブラムはもう一度再起のチャンスを与えられたのです。この常識はずれの愛は、
罪ゆえに滅びるしかない人間の身代わりに、罪なきひとり子を送られた十字架に最高の形
で顕われました。生きている限り失敗は付きものですが、失敗を覆い、新たな祝福の人生
へ導くお方がいるのです。信じて、もう一度前へ進みましょう。