1 内容的には「ぶどう園の惨劇」とでも言うべき主イエスのたとえ話の始まりは、ある人が
精力を注いでぶどう園を造ったことです。彼はそれを農夫に貸し与え、働きに信頼して旅
に出ます。この善意の塊のような主人とは、天の父なる神です。被造物に常に期待と信頼
を寄せるお方です。一方、農夫は対照的に悪意の塊です。収穫時期に遣わされたしもべを
次々にひどい目に遭わせ、果ては跡取り息子さえ殺しました。農夫はイスラエルの民と指
導者を表します。神が遣わした預言者を拒絶し続け、最後に御子イエスを拒絶した姿なの
です。
2 では、現代に生きるクリスチャンにこのたとえは無関係なのでしょうか。いいえ。ぶどう
園を、私たちの人生と考えてみましょう。あなたの命も、持っている物も全て、創り主な
る神が備え、与えてくださったのです。人は皆、与えられたぶどう園である自分の人生に
おいて、よき実を実らせる働きを期待されている存在なのです。
3 では、主人の求めた収穫の分けまえとは何でしょう。搾取ではなく、農夫が与えられたぶ
どう園に感謝し、主人とよい関係を築いていくことです。この御心を見失うとたちまち自
分中心に陥り、全てを賜った神を自分の人生から締め出してしまいます。そんな愚かさを
持つ者のため、神がひとり子を遣わすほどの愛と忍耐を示しておられることを忘れてはな
りません。神との交わりを保つ人生は、たとえ人に捨てられるようなことがあっても必ず
やり直せます。あなたの人生の収穫の分けまえを、今日も神にお返ししましょう。