1 「兄弟を何度まで赦すべきか」と主に問うたペテロは、「七度まで」という答えを用意し
ていました。しかし、主から返ってきた答えは「七度を七十倍するまで(回数の問題では
ない)」でした。赦しの問題の解決は、量的拡大ではなく、質的変化によってもたらされ
るのです。
2 一万タラントの負債を負ったしもべは、清算を迫る王に必死に猶予を願い出ました。なん
と王は彼を憐れみ、全てを帳消しにしてくれたのです。しかし、その後100デナリを貸し
ていた仲間を赦さなかった彼は王の怒りにふれて、投獄されてしまいました。この負債と
は、罪のことです。神を忘れ、自分中心に生きる罪の生き方は、神の前に莫大な負債を積
み上げていきます。自分で払いきれないその負債を主イエスが十字架で肩代わりし、清算
してくださいました。あなたは「赦す立場」ですか。それとも「赦される立場」でしょう
か。
3 主は、このたとえを通して、他人を赦すことが神から赦される条件だと教えているのでは
ありません。神の大きな赦しをいただいた者が、それにも関わらず他者を赦さないでいる
なら祝福を得られないと教えています。それは、①途方もない赦しをくださった天の父の
思いを裏切ることであり、②恵みを受けた自分自身を歪ませてしまうことだからです。赦
せない誰か、赦せない言葉、赦せない振舞い、赦せない仕打ちがいつまでも心に残っては
いませんか。今、それを手放して赦しの種 を蒔き、祝福の花を咲かせましょう。