序論
私達に与えられた使命は、キリストの証人として永遠の命につながる福音を伝える事。
それは、私達の罪のために十字架にかかり、三日目によみがえった復活のキリストと共に生き、希望の歩みへと導く事。
イエスの復活がもたらすもの
①罪に対する勝利聖書は、最初の人アダムが主なる神に犯した罪によって全ての人に罪が入り込み、 その罪の刑罰として全ての人が死ぬものとなったことを教えています。 人が滅ぶことを望まれない父なる神は、死の原因である罪を解決するために、 世に御子イエスを遣わされました(ヨハネ 3:16)。 イエス様は、罪人を救うために身代わりに十字架にかかってくださり、 罪による死から私たちを救ってくださいました。
ローマ 6:6 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。6:7 死んだ者は、罪から解放されています。
②死に対する勝利
主イエスは十字架で死んでくださっただけではなく、三日目によみがえった。 キリストの復活は、全て主を信じる人々に罪の赦しを与えると同時に、 死に対する勝利をもたらした。 イエスを信じるものには永遠の命が与えられ、この地上の生涯を終えた後も神と共に生き、 霊的な死から救われる道を開かれた。
③私達の人生における勝利
それは必ずしも目に見える繁栄や力による勝利ではない。
むしろ信じるものは永遠の命の希望を持ちながら、勝利のイエスと共にこの人生を過ごせる。
イエス様の復活は、私たちの人生の歩みに大きく関わることを教えています。
主が私たちの罪の身代わりとして死んで、よみがえられたことによって、
と共に生きる道が与えられました。
ローマ6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
※私達は以前のように永遠の死に向かって歩んでいるのではない。私達の状況がどのような状況であったとしても、イエスを信じるものは誰でも罪が赦され罪人としての歩みから解放されている。私達はキリストと共に死に、キリストと共に生かされているのです。
それ故イエス様は私達が主を見上げ、人生の介入を求めることを願っている。更にイエス様は私達と共に御国の拡大のための働きを進めることを願っている。
復活のキリストを伝えるために
①聖霊に満たされ神の愛を示す事ができるように祈る
神の愛を示す事には制限がない。
けれども、機会が訪れるときに、自分で準備ができているとは限らない。
②憐みの心を持つ:イエス様の性質。
あわれみとは上から目線の同情ではなく、共に苦しみを担い、理解する事。
③イエス様の介入を求めていくならば、イエス様ご自身が御業をなされ、
生きた神であるというしるしを顕わされる。―そこに私達は希望を見出すことができる。
ダバオで救われた男性の話
主イエスは、救いと平和をあたえるために、世に来てくださいました。
十字架の贖いによって、私たちに救いの道を備えてくださいました。
私達の罪は許されているのです。そしてイエス様の愛を受けて希望の人生を過ごせるのです。