1 シナイ山の麓にいたモーセのもとに、ミデヤンに残していた家族が来訪しました。人生の
恩人でもある舅イテロに、モーセは神の召しに従いミデヤンの荒野を出発して以来の神の
御業を分かち合いました。そしてその証を聴き、異教の祭司であったイテロがイスラエル
の神こそ真の神と信じ、礼拝をささげたのです。愛する家族が、主なる神を「わが主、わ
が神」と告白する日が必ず来る、と信じていますか。信じて日々祈り、根気よく証をし、
折に触れて福音を伝え続けましょう。
2 翌日、モーセ一人で200万人の民の問題を背負い、解決しようとしている姿を見て驚いた
イテロは、その問題点を指摘しました。
①モーセの抱えている荷は重すぎる⇒優れたリーダーであるモーセも、そのままではやが
て燃え尽きてしまう可能性がありました。
②民も疲れ果ててしまう⇒事態が改善されなければ民も疲弊し、共倒れになってしまうこ
とが懸念されました。一人で荷を背負い続けるなら、どんなに優れた器でも疲れ果て、
全体に悪しき影響をもたらすのです。
3 第三者の指摘に目を開かれたモーセは、続くイテロの助言にも耳を傾けました。
①モーセの役割を明確にすべき⇒民のリーダーであるモーセにしかできないことがありま
した。それは第一に「神の前に立つこと」であり、第二に「民を教えること」でした。
モーセが神の前に立って民の前にとりなし、神の御言葉を聴き、それをもって民を教え
ることがなおざりにされるなら、結局は群れ全体が疲弊します。多忙な毎日の中、あな
たは、クリスチャンとして優先すべき「生ける神の御前に出る生活」を大切にしていま
すか。
②民が共に重荷を負い合うべき⇒イテロの助言は単に優れた組織論というだけでなく、神
の民の本質をも示していました。それは共に重荷を負い合う群れということです。十字
架で全ての重荷を引き受けてくださった主イエスに倣い、救われた一人一人が共にお互
いの重荷を負い合う時、教会は命に溢れ、主の栄光を顕します。皆で共に重荷を負う群
れを築きましょう。