暁を呼びさます賛美 詩篇57:7〜8

詩篇57篇の背景には、ダビデの苦難の状況があります。57篇の冒頭には「ダビデがサウルから逃れて洞窟にいた時に」とあります。つまり、サウル王に妬まれ、憎まれ、遂に刃を向けられて、荒野に逃亡し、真っ暗な洞窟に息をひそめてひっそりと隠れていた時なのです。国中に名の知れた戦いの勇士だったのに、王によってその栄誉を剥奪され、明日をも知れぬ身となってしまった。若いダビデは、さぞいらだち、落胆し、将来を嘆いたことでしょう。だから、彼はそのやりきれぬ気持ちを「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私の魂はあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます(57:1)」と、神に訴えつつ、神に自分を委ねています。雛が母鶏の翼の下に隠れるように、ダビデは神の守りの中に逃げ込んだのです。

 

けれどもそれは、たとえ真っ暗な洞窟にいるような、先の見えない暗闇の中にあっても、ダビデの心の向かう先は、天の神にあったということです。だから、ダビデはその暗闇の中でただ嘆いていたのではありません。賛美をしていたのです。

 

「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。(7~8節)」 苦難と不安の闇を経験すると、人は眠れない夜を過ごします。私たちの中にも問題を抱えて、悶々として眠れない夜を過ごした体験を持つ人がいるでしょう。しかし、ダビデはただ悶々とその孤独な夜を過ごしたのではありませんでした。最も暗く、最も寒い、夜明け前の時刻に、神を賛美したのです。立琴や十弦の琴は、かつてサウルの心を慰めた琴の名手であったダビデらしい言葉です。「私は暁を呼びさましたい」、つまり賛美の歌によって朝日を早く上らせたいという気持ちだったのです。

 

続く9〜11節には、高らかに神を誉め歌うダビデの賛美が記されています。「主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように」 暗く寒い朝、洞窟の中で、ダビデが一人高らかに賛美している姿が目に浮かんできます。それは、どんな苦難、暗闇の中にあっても、「いと高き方」であり、「私のためにすべてを成し遂げてくださる方」である神を信頼して、朝日を待ち望む信仰者の姿です。

 

たとえ、あなたが洞窟の中に追い込まれるような困難にあっていたとしても。ライオンの檻に入れられたような苦しみを味わっていたとしても。真っ暗で将来がまるで見えない夜を過ごしていたとしても。その場所で、その問題と苦難のただ中で、主に目を上げ、賛美しましょう。主に信頼して、いと高きお方をほめ歌いましょう。

 

賛美の中に住まわれる主は、御翼を広げてあなたを守り、暗闇を打ち破る輝かしい朝日を上らせてくださるのです。主をほめたたえましょう。

 

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