老いを楽しむ 詩篇92:14  内川寿造師

聖書は、老いをマイナスと捉えず、却って神の祝福と評価している。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」レビ記19:32。「しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。」箴言16:31。長年、社会に貢献した尊敬に値する人。経験を重ねた知恵のある人と見ている。それゆえ、年寄自身も、もう年だからしかたないと嘆いたり、役に立たないと卑下するのは止めよう。生かされている日々を感謝し、誰かの役に立つことを見つけ出して実行しよう。すると毎日が楽しく笑顔で過ごせる。

 

老いを楽しむために最初に解決しなければならないのは「死」である。若い時よりも死を実感する。聖書には、信仰の父アブラハム・イサク・ヤコブの長寿と死が記録されている。彼らに共通するのは、①長寿を全うした。②平安な最期であった。③自分の民に加えられた。神のもとに帰ったのである。④息絶えて死んだ。生命は神に与えられ、神に取られる。⑤葬られた。丁重に葬られることは神の祝福の一つ。あなたは死の準備、死の解決ができているか。主イエスの十字架の贖いによる罪のゆるし、復活による永遠の生命を信じるのである。

 

死の解決の次は老いの生き方である。聖書に登場する二人から学ぼう。まず、80歳から新しい使命に生きたモーセ。使徒7章のステパノの説教では、モーセの生涯を三区分している。①0歳〜40歳。エジプトの王子としての教育と訓練を受け、その結果「言葉にもわざにも力があった。」②40歳〜80歳。一転してミデアンの荒野で羊飼いになる。人生の盛りを埋もれて過ごす。神の教育の時。③80歳〜120歳。使命を果たす時。出エジプトの大事業を行い、40年の荒野の旅を導く。しかし、モーセ自身は夢にまで見た約束の地に入れず、ピスガの頂きから眺めただけ。神に委ねて満足した。次に使徒パウロ。最晩年に「私が世を去る時が来ました。わたしは勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているだけです。(Ⅱテモテ4:6〜8)」と凱歌をあげている。この二人に共通すること。①信仰によって生きる。神を崇め、感謝しつつ毎日を生きる。②使命を自覚して生きる。何のために命を使うのか。神と人に仕え、自分のできることを忠実に果たそう。

 

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