新しい一年の始まり。あなたはどのようにして迎えただろうか。新年を迎えるにあたり除夜の鐘を撞く日本、爆竹を鳴らす中国、どちらも悪しきものを払ってきれいに新しくなった心で新年を迎えたいという気持ちの表れである点は共通している。過ぎた一年を忘れ、リセットして初夢を描き、新年に踏み出そうとするわけだが、実のところこの新年の気持ち程当てにならないものはない。あなたは昨年初めの決心をおぼえているか?どれくらいできただろうか?
この世で新しいと言われることはどれも永遠ではない。新年のおろしたての服もやがて古び、華々しく登場したアイドルもやがて忘れられていく。聖書には「新しい」を指す言葉に二種類ある。英語のnewの語源である「ネオス」は、最初は新しくてもやがて古びる、一時的な新しさを表す言葉。人の気持ち、物質、情報、およそこの世の新しさは皆これである。
聖書にある「新しい」を指すもう一つの言葉、「カイノス」。これは時間や比較に左右される相対的・一時的な新しさではなく、絶えることのない水の流れのようにいつも新鮮で、時が経っても古びるどころかまずます光り輝き、永遠に至るような新しさを表す。人間の造り主である神によってもたらされる新しさである。「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」接ぎ木した渋柿が甘い実を実らせるように、古い自分(罪ある自分)を認めてキリストに接ぎ木される時
、あなたの内に「ネオス」ではなく「カイノス」の新しさが始まるのだ。
キリストを信じるあなたには、キリストの命が息づいている。その命の恵みは年を経て古びるどころか、ますます光り輝き、永遠に至るような新しさで満ちている。新しい一年が始まる。この年、更にキリストの命に満たされ、神と人を具体的に愛する者へと造り変えられることを期待しよう。