1 このたとえは、突然の来客の訪問を受けた人物がもてなしのパンを近所に求める話です。
当時はパンを共同窯で焼いたので、家族構成を知っていれば互いの家のパンの残り具合も
わかる関係でした。また、来客を重んじる中東の文化では、ゲストを村全体でもてなすの
は当たり前でした。しかし、呼び出された男はその頼みを無下に断ります。これは当時の
文化では失礼な態度でしたが、何度も頼まれて遂に根負けし、パンを差し出したのです。
2 真夜中にパンを求められた人は、真の神を表します。逆説的に、こんな不人情な人でも頼
み続ければ与えてくれるのだから、まして真の神は求める者に与えないはずがあろうかと
語られているのです。しかし、あなたが今真の神に対して持っているイメージはそれと同
じでしょうか。もしかしたら、真の神について「とにかく必死で、しつこく祈らないと聞
いてくれない」と思ってはいませんか。信じてはいるけれども自分とはどこか遠い、よそ
よそしい関係でとらえてはいないでしょうか。あなたの過去や養ってきた価値観が天の父
のイメージを見誤らせてはいませんか。
3 しかしこのたとえは、真の神とあなたは本当は地上の親子関係同様に近しく生きることが
できるのだと教えています。父なる神は罪の性質を持って生きている一人一人にさえいつ
も憐れみ深く接し、その祈りに耳を傾けてくださる方なのです。そして父への信頼に立っ
て祈り求める者に、聖霊の恵みを豊かに与えられるのです。今、あなたの水路は天の父な
る神にまっすぐつながっていますか。天の父をいつどんな時も信頼し、期待できるお方と
して見ていますか。恵みと憐れみに富む、父なる神に全てを期待し、祈り求めましょう。