1 イエスはぶどう園を営む家族を題材にたとえを語りました。手伝いを求める父に「はい」
と返事しつつ行かなかった兄息子は建前人間です。同様に頼まれ即座に「いやです」と断
った弟息子は本音人間です。このたとえを通して主は何を教えようとしておられるのでし
ょうか。①人は皆罪人である⇒「兄」とは当時の宗教指導者たちを指します。上辺は立派
でも真が伴わない信仰が浮き彫りになっています。「弟」とは取税人や遊女です。誰から
も罪人とレッテル貼りされ、実際に罪の生活をしていた人々です。大切なのは、どちらも
神の前では御心どおりに生きていない罪人だという事実です。兄と弟は聖書が示す普遍的
人間像です。あなた自身も、神の前には御心の通りに生きられない、一介の罪人であると
謙遜に認めていますか。
2 ②思い直しの大切さ⇒父の願い通りにしなかった兄弟のその後は全く異なりました。弟は
後で思い直し、父の待つぶどう園に出かけたのです。それは父の悲しみ・痛み・孤独に思
いを馳せたからではないでしょうか。十字架のイエスを見上げる時、人は父なる神の悲し
み・痛みを悟り、人へ注がれる底知れぬ愛を感じるようになります。十字架の主を見上げ
て思い直す人は、弟のように父と共に生きる人生へと導かれるのです。
3 ③思い直す人は成長する⇒もし今日、十字架の主に出会って思い直し、今までの生き方・
考え方の方向を変えて神の御心に留まろうとするなら、どんな惨めな過去も明日の救い・
喜び・祝福のための前史に変わります。その人は必ず成長し、新しくされます。「思い直
して」父に従うか否かは、あなたに委ねられた自由です。今、神の御心を求め、思い直し
てぶどう園へ行き、父なる神の大いなる喜びの御顔に出会ってみませんか。