1 ヨハネ3:16は、聖書のエッセンスを凝縮した「小福音書」と呼ばれます。直前のニコデモ
との会話の流れは、三位一体の神の各々の御業を述べています。3:16が示す父なる神の御
業は、「愛された」です。どの聖書箇所からも顔を出すこの神の愛を、感じていますか。
2 そもそも愛とは、どのようなものでしょうか。聖書語句から考えると、①男女の愛、②友
愛、③神の愛があるとわかります。比べてみれば、同じ愛とはいえ①と②(人の愛)と③
(神の愛)には大きな開きがあります。人の愛とは、どこまで行っても自己中心的、自己
満足的な愛であることを否めません。条件付きの愛なのです。
3 同じ愛という語句でも、神の愛は全く異なります。愛という語は抽象名詞ですが、何らか
の動作を伴って初めて具現化されます。ひとり子を与えるほどに世を愛された神の愛は、
まことに具体的です。それは人の罪を贖うための十字架にひとり子を差し出し、死に渡す
ほどの愛なのです。かつてアブラハムは、我が子イサクを差し出すほどの最上の愛を神に
対して示しました。3:16が語るのは、その愛の行為を神が罪の世に対してしてなさったと
いうことです。しかも、神は愛ゆえにイサクが死に至ることを止めましたが、ひとり子の
十字架の死は実行なさいました。あなたは、これほどに神に愛されていると知っています
か。十字架を見つめ、そこにある神の愛に満たされつつ、受難週を過ごしましょう。