1 数年前、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という高校生の問いに、著名な文学者が答え
に窮する出来事がありました。十戒の第六戒である「殺してはならない」は、簡潔明瞭な教
えです。しかし、このみ言葉には神が人に与えられた命の重さ、命の尊厳が宣言されてい
るのです。
2 聖書は、なぜ人を「殺してはならない」と教えているのでしょうか。その理由を見つけまし
ょう。
第一に、人は「神のかたち」に造られた存在だからです(創9:5~6)。⇒人は皆、神のかた
ち、即ち神の性質(義・愛・霊的存在等)に似せて造られたスペシャルな存在なのです。
第二に、主なる神だけが命の主権者だからです(ヨブ1:21)。⇒命の始まりも終わりも、
主の御手の中にあります。人が人を殺すとは、この神ご自身の専権事項に触れる最も恐ろ
しい行為です。
第三に、主なる神が大きな愛で全ての人を愛し、宝の如く思っておられるからです(ゼカ
リヤ2:8)。⇒人の身体の中で、瞳とは殊更大切であるがゆえ、幾重にも守られている器官
です。神は全ての人をご自身の瞳に等しい、大切な存在と教えています。その証は、全て
の人のための主イエスによる十字架の贖いです。
3 たとえ実際に人を殺したことがなくとも、「殺してはならない」という教えと無縁ではあり
ません。主がマタイ5:21~22で語ったように、人は思いや言葉で他者を殺すことがあるか
らです。聖書の言う「殺す」とは、相手の人格をモノ扱いしたり、その存在を否定したりす
ることです。あなたは、全ての人は神に造られた尊い存在、尊い命であるとの聖書的人間
観に立っていますか。「殺してはならない」という教えを通し、むしろ「生かしなさい」と語
られる主の御声に聴き、十字架の愛に満たされることを求めませんか。そして他者を生か
す言葉、思い、行動に歩ませていただきましょう。