1 エジプトを発った神の民イスラエルに、神はどんな生き方を願ったでしょうか。第一に
「神に聖別された者」という自己認識を持ちつつ生きていくことでした(13:2)。聖別と
は、真の神を信じた者がこの世から分たれ、神のものとなることです。イエスを信じるあ
なたも、聖別された存在です。それは罪を犯さないことでも、完全という意味でもありま
せん。主を信じた、その一点で神のものとされているという、不動の恵みを表しているの
です。感謝して自分を神にささげ、罪と妥協しない生き方を志しましょう。
2 第二に、救いを語り告げ、原点を忘れないで生きることでした(13:3)。イスラエルの民
が繰り返し過越祭を守ったように、主イエスを信じて救われた者も聖餐式を通して救いの
恵み・原点に立ち続けます。いつも心新たに、聖餐に与っていますか。
3 第三に、神が導く道へいつも進むことでした(13:17~18)。神は、当時一般的に使用さ
れていたカナンへの近道でなく、荒野の道を通らせました。遠回りの道を示した理由は、
①神の配慮(他民族との連戦を避けるため)であり、②神の養い(荒野での奇跡的な食糧
供給)を体験するためでした。人生で、回り道をしていると思う時にも、神が共にいるな
ら、そこには大きな意味があります。あなたは今、回り道にいますか。そこは単なる嘆き
や愚痴の場でなく、神と出会い、深い配慮を知り、養いの恵みを体験できる場なのです。
4 第四に、確かなナビゲーターを持つことでした(13:21~22)。民を導いた雲の柱・火の
柱は、先立つ神の臨在のしるしです。神は、①あなたの人生の戦いに先立って戦うお方で
す。また、②人生の困難に先立って出会っておられるお方であり、それゆえにあなたの苦
しみを理解し、寄り添い、救ってくださいます。そして、③聖霊の神としてあなたの内に
住まい、今日も導くお方です。日々、目を覚ましてみ言葉に聴き、祈り、神の確かな導き
の中、人生の旅路を歩きましょう。